バタフライエフェクトあるいはバタフライ効果とは、「ブラジルの1匹の蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こす」といった命題に象徴されるように、

蝶がはばたく程度の非常に小さな事象の変化でも、因果関係の連鎖が積み重ねられていく過程を通じて、竜巻や台風を引き起こしていくような大きな事象の変化を生み出すことがあり得るというある種の思考実験にあたるような考え方を意味している。

そして、こうしたバタフライエフェクトと呼ばれる現象は、蝶の羽ばたきや竜巻といった気象学的な場面よりも、むしろ、世界的なウイルスの流行といった疫学的な場面においてより適合する考え方であるように思われる。

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気象や人間の社会生活といった通常の場面におけるバタフライエフェクトの減衰

こうしたバタフライエフェクトと呼ばれる現象とよく似た発想を意味する言葉としては、

17世紀のフランスの哲学者であるパスカルが『パンセ』(瞑想録)において記した「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら世界の歴史も変わっていたであろう」といった言葉のほか、

日本のことわざでいうならば、風が吹くと土ぼこりが立って目に入り、三味線を弾く盲人が増えるが、三味線の胴には猫の皮を張るので、猫が減ってねずみが増え、ねずみにかじられた桶を買い替えるために訪れる客が増えるので桶屋が儲かることを意味する「風が吹けば桶屋が儲かる」といった言葉も挙げられる。

もっとも、こうしたバタフライエフェクトと呼ばれるような現象が実際に大きな事象の変化を生み出すことができるのか?ということについては、通常の場合はかなり疑問の余地があると思われる。

ブラジルの密林の中を飛ぶ蝶の羽ばたきが生み出した空気のさざ波は、周りを取り囲む鬱蒼とした草木の葉にぶつかってすぐに消えてしまうかもしれないし、カエサルは女王クレオパトラと結ばれることによってローマとエジプトの事実上の支配者として君臨することになったので、たとえ彼女が少し不器量であったとしてもそのことには目をつぶったかもしれない。

今日の朝食にパンとご飯のどちらを食べようか迷ったとしても、おそらくは、そのどちらを食べてもその日の後の出来事に大きな違いはないだろうし、そうした些細な選択に迷っていたという記憶そのものがすぐに時の流れの中に埋もれていき忘却の彼方へと過ぎ去っていくことになる。

入社試験の朝に寝坊して、あと一歩のところで電車に乗り遅れて試験に遅刻してしまったせいで一流企業に勤めるチャンスを逃してしまったといった場合なら、多少の大きな影響があったとみなすことができるかもしれないが、

よく考えてみると、大事な試験の日にうっかり寝坊してしまうような少しだらしないところがある人物なら、たとえ試験に遅刻しなかったとしても、試験に合格する可能性はそこまで高くはなかったかもしれないし、

仮にその時はうまく乗り切って合格できたとしても、会社の重要なプレゼンなどのまた別の機会で同じように遅刻するといった大失態をやらかしてしまうことによって、結局はクビになってしまうかもしれない。

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そして、こうした入社試験に間に合うかどうか、会社をクビになるかどうか、といった出来事は、当人の人生にとっては決定的に重要な出来事ということになるが、

その一方で、その人物が入社しなかったとしても会社には代わりとなる別の人物が入社するだけであって、会社は同じように続いていくことになるだろうし、ましてや、それによって、世界全体の状況が大きく変わるなどということはほとんどあり得ない。それが通常の状態における世界の現実であるように思われる。

つまり、こうした気象や人間の社会生活における通常のケースでは、バタフライエフェクトと呼ばれる現象は、はじめに生じた小さな事象の変化の影響は、大きな事象の変化を生み出す前にすぐに減衰していって影響力を失ってしまうことになるので、実際にはうまく成立するケースは少ないと考えられるということである。

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ウイルスの世界的な流行とバタフライエフェクトとの関係

しかしその一方で、これがウイルスという疫学的な事象へと問題の焦点が合わせられた場合、こうしたバタフライエフェクトと呼ばれる現象の影響はほとんど疑いようがないほど確実なものとして浮かび上がってくることになる。

歴史にもしもはないとはよく言われることだが、それでも仮に今回の新型ウイルスの世界的な大流行がなかったとするならば、今頃、日本国内では、夏のオリンピック開催に向けて国中が盛り上がりを見せていて、東京や大阪、京都や福岡や北海道などといった日本中の各都市には世界中から今までにないほどの多くの人々が訪れることによって観光業界はかつてない賑わいを見せていたはずである。

そして何よりも、今回の新型ウイルスの流行では、すでに全世界で200万人を超える人々がウイルスに感染し、そのうちの13万人を超える人間の命が失われていて、その数はいまもまださらに増え続けているが、こうしてウイルスによって命を奪われていくことになった人々は、もしもこのウイルスが存在していなかったとするならば、その多くが今もまだこの世界の内に生きていて、家族や友人たちと共に笑顔を見せていたはずである。

そうしたウイルスの感染の連鎖によって失われていく一つ一つの命は、一人一人の人間そして世界全体にとっても明らかに取り返しのつかない大きな変化となっている。

そして、こうした一連の取り返しのつかない大きな変化のすべてが、中国の武漢において突如として現れたわずか0.1マイクロメートルほどの大きさの一個の新型ウイルスの粒子から始まったバタフライエフェクトによって生み出されたということはほとんど間違いのない事実と言える。

そして、そういった意味では、

こうしたバタフライエフェクトと呼ばれる概念は、蝶の羽ばたきや竜巻といった気象学的な現象よりも、むしろ、ウイルスという微小な病原体の振る舞いとその小さな存在が世界全体へと与える影響の大きさを説明するのに最も適した概念となっていると考えられるのである。

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