前回書いたように、若き日のスピノザがこれから自らが目指していくことになる永遠なる真理へと至る哲学的探求の道がいかなるものであるかを書き記した書物である『知性改善論』においては、

現代の時代を生きる我々にとっても欲望や苦しみにうまく対応してより善く生きていくことができるようになるための指針となる様々な考え方が示されていると考えられるのだが、

こうしたスピノザの『知性改善論』において示されている永遠の真理へと至る哲学的探求の道には、キルケゴールの『死に至る病』へと通じるような思考の軌跡を見いだしていくことができる。

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キルケゴールにおける「絶望」としての「死に至る病」の本質

19世紀のデンマークの哲学者であるセーレン・キルケゴールの主著である『死にいたる病』においては、この書物の主題となっている「絶望」としての「死に至る病」とは以下のようなものであると語られている。

「絶望は、自己におけるこの病は、死に至る病なのである。絶望者は死病にかかっている。ふつう何かの病気について言われるのとはまったく別の意味で、この病は一番大事な部分を侵したのであるが、それなのに彼は死ぬことができないのである。

死は病の終局ではなく、死はどこまでも続く最後なのである。死によってこの病から救われることは不可能なことである。なぜなら、この病とそれによる苦悩そして死とは、死ぬことができないということそのものにあるのだから。」

(セーレン・キルケゴール『死に至る病』桝田啓三郎訳、ちくま学芸文庫、42ページ参照。)

ここでキルケゴールが語っている「死に至る病」としての「絶望」とは、人間が自己の存在をキルケゴールが神とも呼ぶ永遠なる真理との関係の内に見いだしていくことができない限り、決して逃れることができない自己の精神における不治の病のことを意味していると考えられ、

キルケゴールは、こうした本来は神あるいは永遠の真理との関係の内に見いだされていくべき自己の存在のあり方や人間の正しい生き方を見失ってしまうという自己の喪失によってもたらされることになる自己精神における根源的な絶望のことを指して、こうした「死に至る病」という言葉を用いていると考えられる。

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スピノザとキルケゴールに共通する神そして永遠なる真理へと至る一つの思考の道筋

そして、それに対して、

キルケゴールよりもさらに200年前の時代を生きた17世紀のオランダの哲学者であるバルフ・スピノザは、冒頭で述べた『知性改善論』と呼ばれる書物において、スピノザ自身が人間の精神が目指すべき永遠の真理へと至る哲学的探求の道を進んで行くことを決意した理由について、以下のような比喩を交える形で語っている。

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「まず私は次のことに気づいた。すなわち、もし私がそれらを捨てて新しい計画に取りかかるなら、その本性上は不確実な善をその本性上は不確実ではないがその取得に関してのみ不確実な善のために捨てるのだということである。

さらに引き続き省察した結果、この場合、ただ深く思量し得る限り、私は疑いない善のために、疑いない悪を捨てるであろうという考えに達した。

なぜなら私は、自分が非常な危機に臨んでいて、どんなに得がたい対薬でも全力をあげて求めるように余儀なくされているのを知ったからである。

あたかもある対薬を手に入れなければ確実に死ぬと自ら予見している重篤の患者が、彼のすべての希望がかかっているその対薬を得るために、どれだけそれが得がたいものであるとしても、それを全力をあげて求めざるを得ないのと同様に。」

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、14~15ページ参照。)

上記の文章においてスピノザが語っている「本性上は不確実な善」というのは、富や名誉や快楽といった世間の人々が日常的に追求し続けている世俗的な利得のことを意味するのに対して、

「本性上は不確実ではないがその取得に関してのみ不確実な善」というのは、スピノザが自らにその道を生涯をかけて歩んで行くことを課した永遠の真理へと至る道のことを意味している。

そして、スピノザは、人間の精神がそうした確実にして不動なる善である永遠の真理から離れている状態のことを指して、

「病を治す薬を手に入れなければ確実に死へと至ることを自ら予見している重病の患者」すなわち「死に至る病」に蝕まれている瀕死の患者にたとえたうえで、

そうした精神の深い苦しみと絶望から逃れるための唯一の希望となる永遠の真理へと至る道を自らの精神の内に見いだしていくことができる以上、それがどんなに困難な道であることが分かっているとしてもその道を歩んで行くことを決断するべきであると語っていると解釈することができる。

そして、そういった意味では、

こうしたスピノザとキルケゴールという17世紀と19世紀のヨーロッパに生きていた二人の哲学者が時を超えて語っている共通する一つの思考の道筋を読み解いていくと、

人間が自らの人生を歩んで行くうえで、

目の前には、死に至る病としての絶望の道と、自己の精神の深い省察によってのみ目指すことができる永遠の真理へと通じる希望の道の二つの道しかないとするならば、

スピノザが言う永遠の真理、あるいは、キルケゴールが言う神へと通じる自己の精神の深い省察によってもたらされる哲学的探求の道を自らの人生において常に歩み続けていくことこそが、

すべての人間の生き方において最善の道となるというのが、スピノザとキルケゴールという二人の哲学者に共通する思考の道筋となっていると考えられるのである。

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