前回書いたように、『知性改善論』におけるスピノザの認識論哲学においては、哲学的探求が目指すことになる永遠なる真理は、最終的には、「事物の本質のみによって把握される認識」によって獲得されることになるということが語られている。

そして、スピノザは、こうした真理の認識、すなわち、真なる観念を得るために人間の知性がたどっていくことになる哲学的探求の具体的な道のあり方について、

「鉄を鍛えるためのハンマー」と「ペテロの観念の観念」という印象的な二つの比喩を交えていく形で詳しく考察していくことになる。

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人間の知性が持つ生得的なハンマーとしての真なる観念

『知性改善論』において語られているスピノザの思想に基づくと、永遠なる真理へとつながる真なる認識、すなわち、真なる観念を得るためには、その前提として、それが真なる観念であることを確証するための根拠となる事物の本質というものを何らかの形で把握していることが必要となる。

しかし、人間の知性は、いかにして、こうした事物の本質というものを把握することができるのだろうか?

スピノザは、そうした人間の知性が真なる観念へと至るために必要な哲学的探求の道のあり方について、以下のような例を挙げていく形で考察と吟味を行っている。

「鉄を鍛えるためにはハンマーが必要であり、ハンマーを手に入れるためにはそれを作らねばならず、そのためには他のハンマーと他の道具が必要であり、これを有するためにはまた他の道具を要し、このようにして無限に進む。

しかし、こうした仕方で人間に鉄を鍛える力がないことを証明しようとしても無駄であろう。事実、人間は、最初には生得の道具によって極めて平易なものを苦労しつつ不完全にではあったが作ることができた。

そしてそれを作り上げたのち、彼らは他の比較的難しいものを、比較的少ない苦労で比較的完全に作り上げたのである。」

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、29ページ参照。)

ここでスピノザは、太古の時代の人間が自らの手足という生得的な道具を用いて打製石器を作り、それをもとにして、より複雑な磨製石器や金属製の道具を作り出していくことによって、最終的には、鉄をも鍛える金属加工の技術を手にしたように、

人間の知性のうちにも真なる観念を見いだしていくために必要な何らかの生得的な道具のようなものが含まれていて、哲学的探求が目指すことになる永遠なる真理は、そうした人間の知性のうちに予め組み込まれている生得的な知性の働きを起源として手にすることができるということを語っていると考えられる。

そして、鉄を鍛えるために必要なハンマーを鍛えるものが、別の金属でできたハンマーや石でできたハンマーであり、そうしたハンマーを鍛え上げるのに最初に用いられたのは、人間が持つ生得的なハンマーである右手の拳であったと考えられるように、

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永遠なる真理へと至る真なる観念を得るために必要となるものは、それとは別の真なる観念であり、真なる観念を得るために人間の知性の内に生得的に組み込まれている知性的な働きというものも、究極的には、何らかの真なる観念として捉えることができるものであると考えられるのである。

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スピノザにおける真理の認識とペテロの観念の観念

そして、こうした永遠なる真理へと至る真なる観念を得るために必要な真の観念をめぐってさらにさかのぼっていくことになる人間の知性における真なる観念の無限遡及の問題について、スピノザはさらに以下のようなたとえを用いることによってその解決を試みている。

「ここで確かなことは、ペテロの本質を理解するためには、ペテロの観念そのものを理解する必要がないこと、ましてペテロの観念の観念を理解する必要はなおさらないということである。

これは私が、知るためには知っていることを知る必要がなく、まして、知っていることを知っているということを知る必要はなおさらないというのと同じである。」

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、31ページ参照。)

ここでスピノザは、誰かがペテロがどのような人物であるかを知っているという知識を持っているとした時に、その人がペテロがどのような人物であるかを知っているということを知っているという知識、すなわち、ペテロの観念や、ペテロの観念の観念を持っているという知識を必要とせずに、ただ端的に、ペテロを知っていると断言することができるように、

人間が自らの知性の働きによって獲得された真なる観念が実際に真理であることを確証するためには、必ずしも他の真なる観念の存在を前提することは必要ではなく、そうした真なる観念は、どこからの時点で、生得的に明証的なものとして自らの知性の内に見いだしていくことができるということを語っていると考えられる。

人間の精神が思考や論理といった事物の真偽を見極めていくことができるような知的な働きをすでに備えている以上、そこにはすでに、ある種の真理の認識、すなわち、永遠なる真理へとつながる真なる観念が何らかの形で予め生得的に含まれていると考えることができる。

そして、そういった意味では、

上述した「ペテロの観念の観念」あるいは「鉄を鍛えるハンマー」というスピノザの『知性改善論』における二つの比喩において示されているように、

人間は自らの知性の内に見いだしていくことができる何らかの真なる観念、すなわち、知性を備え思考することができる存在である限り、誰もがそれを真なる観念として認めることができるような最も確実で明証的な真理の認識に基づいて、

そこからさらにより高次の真理の認識を獲得していくという哲学的探求の道を歩み続けていくことによって、最終的かつ必然的に、永遠なる真理へと至ることができると考えられることになるのである。

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