前回書いたように、『知性改善論』の「方法の第二部」における哲学探究の手法をめぐる議論においてスピノザは、自己原因としての神の概念を導入することを通じて、原因から結果へと進む演繹的な過程に基づく探求方法こそが永遠の真理へと通じる哲学的探求に最もふさわしい唯一の探求方法であることを説いている。

そして、こうした「方法の第二部」におけるその後の議論においてスピノザは、まずは、そうした演繹的な哲学探究の出発点となる観念のあり方を「概念」と「定義」という二つの観念の形式へと分けたうえで、

そうした原因から結果へと進んで行く演繹的な哲学探究の手法において探求の出発点となる存在の本質は、前者の「概念」ではなく後者の「定義」に基づいて理解されるべきであるという議論を展開していくことになる。

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特殊的肯定的本質としての「定義」と抽象的観念としての「概念」の区別

前回引用した箇所に続く『知性改善論』の「方法の第二部」の議論のなかでスピノザは、具体的には以下のような形で「概念」と「定義」という二つの観念のあり方を定義している。

「我々は事物の探求にたずさわる限り、決して抽象的概念から結論を下してはならない。そして単に知性の中にのみあるものを、実在するものと混同することにないように十二分に用心しなければならない。

むしろ最上の結論は、ある特殊的肯定的本質から、すなわち、真実かつ正当な定義から引き出されるべきであろう。

なぜなら、単に普遍的公理のみからは知性は個物へと降下することが出来ないからである。」

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、73~74ページ参照。)

上記の引用箇所において登場する特殊的肯定的本質といういかにも哲学的で難解な響きのある言葉は、ラテン語の原文においてはessentia particularis affirmativa(エッセンティア・パルティキュラリス・アフィルマティワ)と記されているが、

ここでスピノザは、そうした特殊的肯定的本質としての「定義」は、概念のように多くの事物を包括的に扱うのではなく一つ一つの個物を規定しているという意味において特殊的であり、

そうした「定義」においては、それが何でないかという否定形ではなく、それがなんであるかという肯定形において事物の本質の規定がなされているという意味において、こうした特殊的肯定的本質という言葉を用いていると考えられる。

つまりスピノザは、こうした「概念」と「定義」という二つの観念のあり方について、「概念」とは複数の個物を包括的に把握する抽象的で漠然とした観念であるのに対して、「定義」とは一つ一つの個物の本質すなわち核心となる規定のあり方を指し示す特殊的で明瞭な観念であるという意味において、

永遠なる真理へと通じる哲学探究は、常に、前者の抽象的概念ではなく、後者の特殊的肯定的本質としての定義に基づく演繹的な探求方法において進められていくべきであるということを語っていると考えられるのである。

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神の定義へと至るために必要な完全なる定義の普遍的な条件についての探求

そしてさらにスピノザは、こうした特殊的肯定的本質としての「定義」に基づく事物の探求が永遠なる真理へと通じる哲学探究において最もふさわしい探求方法となるということを以下のような形で繰り返し力説していくことになる。

「それゆえに、何ごとかを発見するための正しい道は、ある与えられた定義からもろもろの思想を形成してゆくことにある。このことは、我々が事物をよりよく定義すればするだけ首尾よく容易に進行する。

だから方法のこの第二部全体の要点は、全く以下の点に、すなわち、よき定義の条件を認識することに、次にこうした定義の発見法を知ることに存する。」

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、74ページ参照。)

それでは、ここでスピノザが求める哲学探究の立脚点となるよき定義、より正確に言えば、特殊的肯定的本質としての正しい定義の条件というものは具体的にどのようなものになるのかということについてだが、

例えば、神の定義について、それを一般的に言われているように、「不死なる存在」あるいは「崇高なる存在」や「善なる存在」として規定した場合、

そうした「不死」といった性質は神だけではなく悪魔や霊魂といったその他の個物にも同様に適用される可能性があるので、それはスピノザが求める特殊的肯定的本質としての定義を満たさない、むしろ、抽象的な概念に基づく神の規定ということになる。

また、「崇高」や「善」といった性質についても、それは天使や聖人といったその他の様々な個物にも同様に適用されることになるのでやはりそれはスピノザが求める特殊的肯定的本質としての厳密な意味における神の定義を満たさないということになる。

それでは、こうしたスピノザにおける神あるいは自然と呼ばれる存在についての特殊的肯定的本質としての正しい定義はどのようにして得られることになるのかということだが、

それについては、上記の引用箇所においてスピノザ自身が語っているように、そうした神と呼ばれるような哲学探究の究極の目標となる存在の本質を把握する定義を獲得するためには、まずはそうした定義が完全なものとなるために必要な普遍的な条件についての探求を行っていくことが必要となる。

そして、そうした哲学探究の立脚点となる事物の本質についての核心をつく完全なる定義の条件と、そうした定義の発見方法についての吟味と分析を行っていくことを通じて、

哲学的探求における究極の目標となる永遠なる真理としての神あるいは自然と呼ばれる存在についての定義のあり方も次第に明らかになっていくことになると考えられるのである。

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