前回書いたように、『知性改善論』の「方法の第二部」の冒頭部分における哲学探究の方法論をめぐる議論においてスピノザは、永遠なる真理へと通じる哲学探究は、常に、抽象的概念ではなく、特殊的肯定的本質としての定義に基づく演繹的な探求方法において進められるべきであると述べている。

そして、こうした「方法の第二部」のその後の議論においてスピノザは、そうした適切な方法論に基づいて行われる哲学的探求において必要となる事物や存在の定義の具体的な条件のあり方についての詳細な吟味と論理的な分析を行っていくことになる。

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定義の条件としての事物や存在における内的本質と固有性との区別

『知性改善論』における「方法の第二部」の「定義の諸条件について」と題された章においてスピノザは、具体的に以下のような形で、正しい方法論に基づいて進められる哲学探究の立脚点となる事物や存在の定義が完全なものであるための条件を提示している。

定義が完全と言われるためには、事物の内的本質を明らかにしなければならないであろう。そして本質の代わりにある固有性をもってすることがないように用心しなければならない。

これを説明するために、私は好んで他人の誤謬を摘発するように見える他の諸例はおいて、ただ、どのように定義されてもさしさわりのないある抽象的事物、例えば円を例にとろう。」

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、75ページ参照。)

ここでスピノザは、あらゆる哲学探究の立脚点となる事物や存在についての特殊的肯定的本質としての定義とは、より正確に言えば、事物の内的本質、すなわち、その事物が何であり自らの内なるいかなる本質を根拠としてその事物自体が成り立っているかを指し示すそれぞれの事物や存在における内在的な真理に基づいた定義でなければならないということを語ったうえで、

そうしたそれぞれの事物や存在における内在的な真理としての内的本質とは、そうした事物や存在の外的な特徴を分かりやすく表現しているような、それぞれの事物や存在における固有性や単なる抽象的な性質といったものとはまったく異なるものであるということを主張している。

そして、こうした哲学探究の対象となる事物や存在における内的本質と固有性の違いについて具体的に説明していくために、スピノザは、一般的な幾何学的な概念にあたる円の存在を例にとって説明を試みていくことになる。

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二つの円の定義に基づく創造された事物の正しい定義のあり方の探求

そして、こうした定義の条件をめぐる事物や存在の内的本質と固有性の違いをめぐる議論のなかで、スピノザはまず、そうした哲学探究の立脚点となる事物や存在についての特殊的肯定的本質としての定義の条件を満たさない不十分な定義の例として、以下のような円の定義のあり方を示していくことになる。

「もし円が、中心から円周へ引かれた緒線の相等しい図形であると定義されるなら、何びともこうした定義が少しも円の本質を明らかにせず、ただそのある特性を明らかにするにすぎないことを見逃さないであろう。」

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(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、75ページ参照。)

つまり、スピノザの考えに基づくと、上記の円の定義においては、円に特徴的な性質を分かりやすく表現するという円という存在における一つの固有性が示されているだけにすぎず、円の存在そのものの内的本質を指し示す特殊的肯定的本質としての定義の条件を満たさない哲学的には不十分な定義となっているということである。

それではそれに対して、こうした単なる固有性とは異なる、それぞれの事物や存在における内的本質そのものを指し示すような円についての真なる定義とはどのようなものであるのかということについてスピノザは、それは具体的には以下のようなものであると答えている。

「もしそれが創造された事物であるなら、定義は、既に言ったように、最も近い原因を包含しなければならない。

例えば円は、この法則に従えば、次のように定義されるべきであろう。すなわち円とは、一端が固定し他端が運動する任意の線によって画かれた図形であると。

この定義は明瞭に最も近い原因を包含している。」

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、75~76ページ参照。)

ここで述べられている「一端が固定し他端が運動する任意の線によって画かれた図形」という円の定義においては、円の存在の本質が最も近い原因、すなわち、こうした円と呼ばれる存在がどのようにして新たに描かれていくことになるのかという円という存在の創造の原因に基づいて定義がなされている。

そしてそれに対して、前述した「中心から円周へ引かれた緒線の相等しい図形」という固有性に基づく円の定義においては、すでに存在している円についての普遍的な性質が述べられているだけで、それだけでは、いかにして円という存在が新たに生成することになるか、すなわち、円の存在そのものの成立の根拠となる内的本質がその存在自体の最も近い原因に基づいて明らかにされているとは言えない。

つまり、上記の二つの円の定義の例において、前者の「中心から円周へ引かれた緒線の相等しい図形」という円の定義は、すでに円という存在が成立した後の言わば結果に基づく定義にすぎないのに対して、

後者の「一端が固定し他端が運動する任意の線によって画かれた図形」という円の定義は、円という存在そのものがその内的本質に基づいて新たに生成していくことになる原因に基づく定義であるという意味において、

原因から結果へと進む演繹的な探求のあり方が求められることになる永遠なる真理へと通じる哲学的探求においては、最も近い原因に基づいて事物や存在の内的本質そのものを指し示していくという後者における円の定義の方が哲学的に最もふさわしい定義のあり方となっていると考えられるのである。

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