前回までに書いてきたように、スピノザの『知性改善論』の「方法の第二部」における「定義の諸条件について」と題された章においては、一般的な事物や存在についての哲学的な定義の条件についての考察が行われたうえで、

哲学探究において求められる普遍的な定義の条件として、そうした哲学的な意味における正しい定義は、その定義からその存在におけるすべての特性が導出されるものでなければならず、またそれと同時に、すべての定義は知性における肯定的な定義として示されなければならないという結論が導き出されていくことになる。

そしてここからスピノザの思考は、哲学探究における最終的な目的にあたる創造されざる事物、すなわち、すべての存在の根源にして究極の原因となる神あるいは自然と呼ばれる永遠なる真理についての正しい定義のあり方の条件についての考察へと進んでいくことになる。

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自らの外にある原因を排除した自らの内的本質のみによる定義

『知性改善論』における「定義の諸条件について」と題された章の結論部分においてスピノザは、哲学的探求の最終的な目標となる永遠なる真理へと通じる創造されざる事物の定義の条件について、それは以下で順番に挙げていくのような四つの条件へとまとめることができると語っている。

「しかし創造されない事物の定義の要件は次のようである。

一、その定義は一切の原因を排除しなければならない。言い換えれば、こうした事物は自己の説明のために自己自身の本質以外の何ものをも要してはならない。」

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、76~77ページ参照。)

ここでスピノザは、円や三角形、あるいは、机の上に置かれているリンゴといった一般的な事物や存在、すなわち、創造された事物における定義の条件とは異なる、創造されざる事物における特有の定義の条件として、

それは自らの外にある一切の原因を排除したうえで、自らの内なる自己自身の本質のみによって定義がなされるべきであると語っている。

以前に「二つの円の定義に基づくスピノザにおける創造された事物の正しい定義」の記事で考察したように、円やリンゴといった一般的な事物や存在についての定義は、その存在が成立するために必要な最も近い原因に基づいて定義がなされることによって、その事物や存在についての本質そのものが示されていくことになる。

それに対して、スピノザにおいて神あるいは自然とも呼ばれる永遠なる真理へと通じる創造されざる事物は、そうした自らの外にある存在に自らの存在の原因をもたないがゆえに、より正確に言えば、自己原因としての自らの存在の本質のみを自らの存在の原因とすることによってその存在のすべてが成り立っていると考えられるがゆえに、

そうした創造されざる事物についての定義は、その存在の外にあるすべての原因が排除されたうえで、自己原因とも呼ぶことができる自らの内的本質のみによってその存在の定義がなされなければならないと考えられるのである。

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創造されざる事物についての定義は自らの内にその存在の肯定を含む

そしてその次にスピノザは、こうした創造されざる事物の定義において必要な二つ目の条件について、それは以下のようなものであると語っている。

「二、一たびその事物の定義が与えられた以上は、それが存在するかどうかという問題の起こる余地があってはならない。」

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、77ページ参照。)

ここでスピノザが述べている定義の条件については、前述した創造されざる事物における定義の第一の条件から必然的に導き出すことができると考えられる。

前述した定義の第一の条件に基づくと、創造されざる事物というものは、自らの外にあるいかなる存在によっても影響されずに、自らの内的本質のみを根拠として存在していると考えられることになるので、

そうした創造されざる事物についての定義の内には、必然的に、そうした創造されざる事物についての存在の肯定が含まれていると考えられることになる。

このことは例えば、以下のような例を念頭に置いて考えていくとより明らかとなるかもしれない。

スピノザ的あるいはデカルト的な哲学探究においては「我思うゆえに我在り」といった言葉に象徴される自己意識の存在の明証性を出発点として探求が進められていくことになるが、

そうした思考する存在としての自己意識についての哲学的に正しい定義が与えられたからには、その後になって、それではこうした自己意識と呼ばれるものは本当に存在するのだろうかと再びその存在自体を疑っていくことは不条理な問いとなる。

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なぜならば、そうした思考する存在としての私あるいは自己意識の存在は、すでにそうした思考する存在としての自我の定義が与えられた時点で、その存在の肯定をも含むことになるのだから。

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唯一無二になる個別的で特殊的な存在者としての神の定義

そしてスピノザによれば、こうした創造されざる事物についての三番目の定義の条件は以下のようなものになる。

「三、その定義には実質状、形容詞にもなされ得るような名詞を含んではならない。言い換えれば、それは何らかの抽象的概念によって説明されてはならない。」

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、77ページ参照。)

一般的に形容詞としても用いられることになる名詞、例えば、「大」や「小」といった概念は、事物についての相対的な規定を与えるだけで、それは創造されざる事物についての絶対的な定義を示すための条件を満たさない。

例えば、太陽のことを大きな星であると規定したとしても、それは確かに、地球や月から見れば大きいが、おうし座で最も明るい恒星であるアルデバランは太陽よりも半径にして40倍以上も大きい。

また、抽象的概念によって説明されてはならないということのより正確な意味については、そうした永遠なる真理へと通じる創造されざる事物についての定義が、単に人間の頭の中だけにあるような存在の規定と明確に区別されなければならないということを示している。

例えば、前述した思考する存在として定義された自己意識の存在の明証性は、いま、ここに存在し、現に思考し続けている存在としての個別的で特殊的な存在である一人一人の私自身においてのみ成立するのであって、

私自身とは別のある人物も思考しているからといって、そうした抽象的に想定されたある人物の自己意識の存在が普遍的に証明されるということにはならない。

その人物自身の自己意識の存在の証明については、彼あるいは彼女自身の意識において、個別的かつ特殊的に、彼あるいは彼女自身の思考の働きによって改めて行われなければならない。

だからスピノザ哲学においては、こうした永遠なる真理へと通じる創造されざる事物、すなわち、神あるいは自然と呼ばれる存在についても、それは最終的に、

自らの意識の外に存在する抽象的で普遍的な存在者ではなく、個別的で特殊的な存在である自らの意識と密接に結びついた、そうした自らの意識や精神をも包含する、唯一無二になる個別的で特殊的な存在者として定義されていくことになると考えられるのである。

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スピノザの『知性改善論』における創造されざる事物の定義の条件

そしてその後に語られている創造されざる事物についての四番目の定義の条件については、これまでの定義の条件を踏まえた全体のまとめとなる議論が以下のような形で示されている。

「四、そして最後に、その定義からその事物の一切の特性が結論されることを要する。以上すべてもまた、よく注意して考えれば、明白なことであろう。

なお私は先に、最上の結論はある特殊的肯定的本質から引き出されるべきだと言った。なぜなら、観念はより特殊的であればそれだけ判明であり、従って明瞭だからである。だから我々は、出来るだけ多く特殊性の認識を目指さなければならない。」

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、77ページ参照。)

哲学探究において最終的な目的となる創造されざる事物、すなわち、神あるいは自然と呼ばれる永遠なる真理についての定義は、

まずは、一般的な創造された事物についての定義の場合とは異なり、その存在の外にあるすべての原因が排除されたうえで、自己原因とも呼ぶべき自らの内的本質のみによってその存在の定義がなされなければならない。

そして、そうした自らの内的本質のみを自らの存在の根拠とする創造されざる事物の定義は、必然的に、定義された創造されざる事物の存在の肯定を含むことになる。

しかしその一方で、こうした真なる観念としての創造されざる事物の定義は、それが単に人間の頭の中だけにある抽象的な概念と区別されるために個別的で特殊的な存在についての定義でなければならず、それは言い換えれば、特殊的肯定的本質としての定義の条件を満たす定義のあり方ということになる。

そして、そうしたすべての条件を満たす創造されざる事物についての完全なる定義からは、必然的に、その存在におけるすべての特性が導出されていくことになると考えられるのである。

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