前回までに書いてきたように、スピノザの『知性改善論』の「方法の第二部」におけるこれまでの議論においては、創造された一般的な事物と創造されざる永遠なる事物とを含めたすべての存在についての哲学的な定義の条件についての考察が行われてきたが、そうした定義の条件をめぐる一連の議論に続いて、

スピノザによって『知性改善論』と題されたこの未完の書物は、ついにその哲学探究における究極の主題となっている神あるいは自然と呼ばれることになる永遠なる真理についての認識方法についての核心となる議論へと入っていくことになる。

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人間の知性における自然の存在の本質と秩序とその合一の完全なる認識

『知性改善論』の「永遠なる事物を認識する手段について」と題された章の冒頭部分においてスピノザは、人間の知性あるいは人間の精神における永遠なる真理の認識というものは具体的には以下のような認識の状態のことを意味すると語っている。

「我々のすべての知覚が秩序づけられ合一されるためには、出来るだけ早く、理性の要求するところに従い、次のことを、

すなわち、万物の原因であってそれの想念的本質がまた我々のあらゆる観念の原因となるようなあるものが存在するかどうか、また同時にそれがどんなものであるかを探求することが必要である。

そうすれば我々の精神は、前に言ったように、最も完全に自然を再現することになるであろう。なぜならその場合、我々の精神は、自然の本質・秩序・合一性を想念的に含むであろうから。」

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、78ページ参照。)

ここでスピノザは、哲学探究における究極の目標となる永遠なる真理の認識について、それはまず、万物の原因であると同時に、その観念の本質が我々の精神におけるあらゆる観念の原因となるような存在についての認識が得られた状態のことを意味すると述べていて、このことはより分かりやすく言えば、

自然の事物におけるすべての存在の根拠であると同時に、人間の知性におけるすべての認識の根拠ともなる根源的存在についての認識がこうした哲学探究の究極の目標としての永遠なる真理の認識へと直結するということになる。

そしてさらにスピノザは、そうした永遠なる真理についての認識が得られた状態というのは、一言いえば、我々の精神の内において自然と呼ばれる存在が最も完全に再現された状態のことを意味すると述べている。

つまり、人間の知性における認識が、自然の存在における本質と秩序およびその合一性のすべてを真なる観念に基づいて完全に認識した状態こそが、こうしたスピノザが求める永遠なる真理についての完全なる認識が得られた状態のことを意味することになると考えられるのである。

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実在的有としての自然的事物の存在の基づいた哲学探究の歩み

そして上記の引用箇所に続いてスピノザは、こうした哲学探究における永遠なる真理の認識と自然の存在との関係性についてさらに以下のような形で詳しく説明していくことになる。

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「これからして、我々の一切の観念を常に自然的事物すなわち実在的有から導き出すことが何より我々に必要であることを知り得る。

すなわち、できる限り原因の系列に従って一の実在的有から他の実在的有へと歩みを進めなければならない。そしてその際、抽象的普遍的概念へ移行してはならない。

例えば、抽象的普遍的概念から実在的事物を結論したり、実在的事物から抽象的概念を結論してはならない。なぜなら、そのどちらもが知性の真の進行を中断するからである。」

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、78~79ページ参照。)

ここでスピノザは、人間の頭の中だけにしか存在しないような抽象的な概念と自然における実在的な事物との区別を明確に示したうえで、

永遠なる真理についての認識は、前者の抽象的普遍的概念ではなく、後者の実在的事物あるいは実在的有とも呼ばれる自然的事物の存在に基づいた認識でなければならないと述べている。

つまり、上記の引用箇所においてスピノザは、哲学探究における究極の目標となる永遠なる真理についての認識は、人間の頭の中だけで繰り広げられていくような単なる抽象的概念からの空想的な推論ではなく、

実在的有としての自然的事物の存在に基づいた地に足のついた歩みによってその探求が進められなければならないということを強調して語っていると考えられるのである。

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真に存在する実在的有である永遠なる事物の系列としての自然の存在

そして、こうした『知性改善論』における記述を見ると、こうしたスピノザの主張は、一見すると、自然界における物体や物質といった目に見える具体的な事物の存在を重視する唯物論的な思考のことを示しているようにも見えるのだが、

以前から繰り返し述べてきたように、スピノザ哲学においては、自然という存在そのものについての哲学的な定義が、自然界や自然環境あるいは物質的世界のことを意味するような一般的な意味における自然の定義と大きく異なるため、そこからは、以下で示すようにまったく別の結論が導き出されていくことになる。

「しかし注意しなければならないのは、私がここで原因の系列とか実在的有の系列とか言うのは変化する個物の系列のことではなくて、ただ確固たる永遠なる事物の系列のことなのである。」

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、79ページ参照。)

ここでスピノザが語っている変化する個物の系列とは、前述した自然界や物質的世界における一般的な意味での自然の内に存在する目に見える具体的な事物の存在のことを意味している。

そしてスピノザは、哲学的探求においては、そうした自然界の内で生成と消滅を繰り返し、常に移ろっていく変化する個物の系列ではなく、

そうした変化する個物の系列そのものを成り立たせている真に存在する実在的有である永遠なる事物の系列としての自然の存在のうちに、哲学探究における究極の目標となる永遠なる真理の存在を見いだしていると考えられるのである。

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