前回書たようにスピノザの『知性改善論』における「永遠なる事物を認識する手段について」と題された章の後半部分では、哲学探究において得られた永遠なる事物から現実に存在する一般的な事物にあたる変化する個物の認識へと至ることの困難さが示されていくなかで、

最終的には、実験や経験に基づく帰納的推論を補助手段として用いることによって人間の認識における知識と学問の体系の全体が築き上げられていくことになるという一つの構想が提示されている。

しかし、こうした『知性改善論』における一部の記述をもって、スピノザの哲学体系そのものに原因から結果へと進む演繹的思考から離れた帰納的思考が全面的に導入されることになるわけではなく、

スピノザの思考は、そうした帰納的推論を補助手段として用いる人間の認識における学問体系の全体的な構想からはすぐに離れて、自らの哲学探求の主題となる永遠なる事物を認識するための方法論についての思索の道へとすぐに回帰していくことになる。

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「方法の第一部」の主題となる真なる観念の定義と「方法の第二部」の主題となる永遠なる事物の認識へと至る方法論

『知性改善論』の「永遠なる事物を認識する手段について」と題された章の結論部分においてスピノザは、哲学探究における究極の目標となる永遠なる事物の認識へと到達するためには、

前回取り上げたような実験や経験に基づく帰納的推論、あるいは、感覚や知覚に基づく表象力の働きを補助手段として用いることは必要ではなく、哲学的探求においては人間は自らの精神における知性の働きのみによって、そうした永遠なる事物の認識へと至ることが可能であるということを以下のような記述を通して確認していくことになる。

「ここでは主題に立ち戻って、ただ永遠なる事物の認識に到達するのに必要であり、また上述の条件に従ってその定義を形成するのに必要であると思われる事柄だけを取り扱うことにしよう。

このためには、我々が先に述べたところを記憶に呼び戻さなければならない。それはすなわち、精神が、ある思想に対して、これを検討し、それから正当に導き出されるもろもろの結果を正しい秩序に従って導き出すことに努める場合、

もしその思想が偽であったなら、精神はその思想の虚偽なることを看破する、しかしもし真であったなら、何らの中断なしに首尾よくそれからもろもろの真なる観念を導き出し続けていけるということである。」

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、81ページ参照。)

ここでスピノザは、『知性改善論』の「方法の第二部」の主題となっていた永遠なる事物の認識へと至る方法論をめぐる議論を通じて得られた結論として、

永遠なる事物の認識へと至るための哲学探究は、常に、特殊的肯定的本質としての定義に基づく演繹的な探求方法によって進められなければならないということを確認したうえで、さらに、

「方法の第一部」における主題となっていた真なる観念の定義をめぐる議論を通じて得られた結論として、

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人間の精神は、自らの知性を正しい秩序に基づいて働かせることによって、虚偽の観念や虚構された観念とは明確に区別されることになる明瞭かつ判明な観念としての真なる観念を導き出していくことができるということを確認している。

つまり、上記の引用箇所においては、

人間の精神は正しい秩序に基づく知性の働きによって真なる観念を導き出し続けていくという哲学的探求を続けていくことを通じて、

最終的に、すべての存在の根源にある永遠なる事物についての特殊的肯定的本質としての定義を見いだしていくことによって、そうした哲学探究における究極の目標となる永遠なる事物の認識へと至ることになるという

『知性改善論』と呼ばれるこの書物において、これまでに繰り広げられてきた哲学的な議論の全体をまとめる哲学探究における一つの指針となる方法論のあり方が示されていると考えられるのである。

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永遠なる事物の認識作用の主体となる人間の精神における知性の存在の探求

そしてさらにスピノザは、そうした永遠なる事物の認識へと通じる哲学探究における方法論についての理論を真の意味において完成されるためには、さらにもう一つ以下のような探求が必要となると語っている。

「そこでもし我々が万物の中の第一のものを探究しようとするなら、我々の思想をそこへ導くある基礎が必然的に与えられなければならない。

ところで方法は反省的認識にほかならないから、我々の思想を導くべきこの基礎は、真理の形相を構成するものの認識、および知性とその諸特性と力との認識以外であり得ない。

実際この認識が得られれば、我々は我々の思想を導き出す基礎を持つことになり、また知性がその能力の及ぶままに、永遠なる事物の認識に到達し得るところの道が明らかになるであろう。」

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、82ページ参照。)

ここでスピノザは、「万物の中の第一のもの」、すなわち、すべての存在の根源にして究極の原因となる永遠なる事物についての認識へと至るための方法論には、人間の認識を正しい秩序に基づいて導いていくための土台となる一つの基礎が与えられる必要があると述べている。

上記の引用箇所においてスピノザは、やや唐突に、「方法とは反省的認識にほかならない」と述べているがこれは具体的には以下のようなことを意味していると考えられる。

物事を認識するために必要な方法や手段のあり方が問われるとき、その問いは、物事を認識する際の自らの認識作用そのものについての問いとなるので、

そうした方法や手段についての問いにおいては、必然的に、自らの認識作用そのものをかえりみる反省的な認識のあり方について問われるころになる。

そして、そうした反省的な認識としての永遠なる事物を認識するための方法論についての問いにおいては、最終的に、

そうした永遠なる事物について認識するための認識作用の主体となる人間の精神における知性の存在についての探求を行っていくことが必要となると考えられるのである。

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