前回書たようにスピノザの『知性改善論』の最終章における知性の特性をめぐる議論においては、知性の第二の特性として論証された絶対性の観念に基づいて、知性の第三の特性にあたる無限性の観念についての論証が行われていくことになる。

そして、それに続いてスピノザは、人間の精神における知性の働きの第四の特性について、その特性を知性の働きにおける否定的観念と肯定的観念の関係性に基づいて提示していくことになるのだが、

前回取り上げた知性の第三の特性にあたる無限性の観念をめぐる議論では、量や運動、さらには、線分や直線といった幾何学的な概念まで用いて詳細な論証が行われていたのに対して、今回取り上げる知性の第四の特性についてスピノザ自身が語る言葉は拍子抜けするほどに少ない。

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「肯定性」としての知性の第四の特性についてのスピノザ自身の短い記述

『知性改善論』の「知性の力とその諸特性について」と題された章の前回に続く箇所においてスピノザは、人間の精神における知性の第四の特性として、以下のよう形で肯定性という観念を新たに提示することになる。

「四、知性は否定的観念よりもまず肯定的観念を形成する。」

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、84ページ参照。)

スピノザの『知性改善論』における知性の第四の特性についての記述はこのたった一文だけで終わっている。

こうした知性の働きにおける第四の特性として挙げられた否定的観念に対する肯定的観念の優越という特性がどのような論理によって導き出されることになるのかという具体的な論証の過程はここには一切記されていないし、

もちろん前回取り上げた知性における第三の特性にあたる無限性の観念に基づいて、今回新たに示された第四の特性にあたる肯定性の観念が自明なものとして導き出されるというわけでもない。

つまり、そういった意味では、ここで提示されているスピノザによる知性の第四の特性についての記述は、あまりにも簡潔すぎて、論理的には説明不足な記述になっているとも考えられるのである。

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スピノザ哲学における知的直観と哲学探求における論証の必要性

そもそも、スピノザという哲学者は、その主著である『エチカ』における幾何学的形式に基づく整然とした哲学体系の記述のあり方から、その哲学的な思考そのものまでもが緻密な論証の積み重ねの末に築かれたものとして解釈されることが多いが、

筆者の見解では、こうしたスピノザにおける独特の哲学的な思考の本質は、むしろ、哲学的な真理あるいはその核心となる本質について直観的な思考にあると考えている。

つまり、そういった意味においてスピノザは、デカルトにはじまり、のちにフィヒテやシェリングといったドイツ観念論哲学へと受け継がれていくことになる観念論の系譜のなかでも、人間の精神における知性的な直観にあたる知的直観を認める直観主義の系統に属する哲学者であると考えられるということである。

哲学的な真理の本質が人間の精神における知性の働きによって直観的に把握することができるものであるとするならば、そうした知性において直観的に把握された真なる観念というものは、それ自身においてすでに明瞭かつ判明な観念として成立していることになるため、

そうした知的直観によって把握された明証的な観念というものは、必ずしも言語による論証の作業を必要としなくても、そうした人間の知性の内なる真なる観念の存在そのものにおいてすでにその真理性が明らかにされていると考えられることになる。

つまり、少し乱暴な言い方にはなるが、

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スピノザは、哲学的探求の過程において、自らの精神における知性の働きにおいてすでに直観的に把握されている真なる観念については、その真理の本質は哲学的探求によって研ぎ澄まされた精神における知的直観においてはすでに明らかとなっているので、必ずしもそうした真なる観念の真理性を証明するために改めて言語による論証を行うことは必要ないと考えていたともいえるということである。

そして、そういった意味では、むしろ、

哲学的探求における言語を用いた緻密な論証の過程というものは、すでに自らの精神における知的直観においてはその真理性が明らかとなっている一つ一つの真なる観念を、より論理的整合性の高い一つの体系へと洗練してまとめ上げていくために行われる探求の過程であり、

そうした自らの精神の内なる真なる観念を洗練して統一した思想の体系へとまとめ上げていくと同時に、その存在を別の観点から再確認していくことによって、そうした真理の存在についてのさらなる確信を深めていく過程そのものがスピノザ的な哲学的探求における核心となる知の営みとなっているとも考えられるのである。

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特殊肯定的本質としての真なる定義に基づく知性の働きにおける否定的観念に対する肯定的観念の優越という特性

しかし、そうは言っても、

それが本当に哲学的な意味における真なる観念であるとするならば、そうした真なる観念は、知的直観によって把握することができると同時に、少なくとも、人間の精神における知性の働きによって論理的に説明することができなくてはならないはずなので、

ここで話をもとに戻して、『知性改善論』の最終章における知性の第四の特性にあたる肯定性の観念をめぐる議論において、スピノザは具体的にどのような論理的に説明を念頭に置いてこうした特性を提示しているのかということについては答えておかなくてはならない。

こうした知性の働きにおける否定的観念に対する肯定的観念の優越という特性についてスピノザは、おそらくは、『知性改善論』の「永遠なる事物を認識する手段について」と題された章で述べられている以下のような議論を念頭においてそうした特性を提示していると考えられる。

「我々は事物の探求にたずさわる限り、決して抽象的概念から結論を下してはならない。そして単に知性の中にのみあるものを、実在するものと混同することにないように十二分に用心しなければならない。

むしろ最上の結論は、ある特殊的肯定的本質から、すなわち、真実かつ正当な定義から引き出されるべきである。」

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、7374ページ参照。)

スピノザが提示する哲学探究の方法論においては、人間の知性における認識の対象となる真なる観念は、基本的には、事物や存在における特殊肯定的本質としての真なる定義から導き出されていくことになる。

ここで述べられている特殊的肯定的という言葉は、その定義が人間の頭の中だけに存在するような漠然とした抽象的な概念にとどまらない一つ一つの個物の本質そのもの規定する定義であるという意味において特殊的であり、

その定義がその事物や存在が何でないかを示すだけの消極的な定義ではなくその事物の存在が何であるかの本質を指し示す核心的な定義であるという意味において肯定的であると表現されている。

つまり、そういった意味では、

『知性改善論』の最終章において語られている知性の第四の特性にあたる肯定性という観念については、

上記の人間の精神における知性の働きによってもたらされる特殊的肯定的本質としての真なる定義をめぐる議論が念頭に置かれたうえで、そうした知性の働きにおける否定的観念に対する肯定的観念の優越という特性が挙げていると考えられるのである。

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