前回書たようにスピノザの『知性改善論』の最終章における知性の特性をめぐる議論においては、知性の第三の特性にあたる無限性の観念についての比較的長い論証に続いて、知性の第四の特性にあたる肯定性の観念についての簡潔な記述が行われていくことになる。

そして、それに引き続きて取り上げられることになる知性の第五の特性についてスピノザは、自らの主著にあたる『エチカ』の終盤に登場する「すべてを永遠の相のもとに見る」という言葉を彷彿とさせるような表現において語っていくことになる。

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「永遠性」としての知性の第五の特性についての『知性改善論』における記述

『知性改善論』の「知性の力とその諸特性について」と題された章の前回に続く箇所においてスピノザは、人間の精神における知性の第五の特性について、それは具体的には以下のような特性として表現されることになると語っている。

「五、知性は事物を持続のもとよりもある永遠の相のもとにおよび無限数のもとに知覚する。あるいはむしろ、事物を知覚するのに、数をも持続をも考慮に入れない。

しかし事物を表象する時には、これを一定の数、一定の持続および量のもとに知覚する。」

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、84~85ページ参照。)

ここでスピノザは、人間の精神における知性の働きに基づく認識においては、すべての存在は、最終的には、生成変化する個々の事物の持続においてではなく、そうしたすべての事物の根源にある永遠なる事物のもとに把握されることになると語っている。

そして、そうした哲学探求における究極の真理としての永遠なる事物のもとに把握される知性的な認識においては、すべての事物はそうした永遠なる事物の存在における永遠性と無限性のもとに把握されることになるので、

すべての事物は、一義的には、量における限定にあたる数や、時間における限定にあたる持続を越えた永遠性と無限性の次元において把握されることになるとと考えられる。

そしてそれに対して、人間の精神における知性の働きではなく、人間の身体における感覚の働きを通じてもたらされる表象力の作用においては、こうしたすべての事物は、無限性のもとではなく限定性のもとに把握されることになるので、

そうした人間の身体における感覚の働きに基づく事物の表象においては、すべての事物は、一定の数、一定の量、そして、一定の持続のもとに存在する限定された有限なる存在として把握されることになると考えられるのである。

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『エチカ』と『知性改善論』における「永遠の相」についての記述

そして、こうした知性の働きにおける第五の特性を表現する際に用いられている「ある永遠の相のもとでの認識」という『知性改善論』における記述は、

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スピノザの主著である『エチカ』の終盤において登場する「すべてを永遠の相のもとに見る」という言葉へとつながっていくスピノザ哲学におけるある種の独特の表現となっていると考えられるのが、

その『エチカ』においては具体的には以下のような形で、そうした人間の精神における永遠の相に基づく認識のあり方が語られている。

我々の精神はそれ自らおよび身体を永遠の相のもとに認識する限り必然的に神の認識を有し、また自らが神の中に在り、神によって考えられることを知る。」

(スピノザ『エチカ(下)』畠中尚志訳、岩波文庫、125ページ参照。)

こうした『エチカ』で語られている「永遠の相のもと認識する」という記述は、ラテン語の原文においては、

”sub aeternitatis specie cognoscit”(スブ・アエテルニタティス・スぺキエ・コグノスキット)と記されているのに対して、

前述した『知性改善論』における知性の第五の特性として語られている「ある永遠の相のもとに」という記述は、ラテン語の原文においては、

 ”sub quadam specie aeternitatis”(スブ・クアダム・スぺキエ・アエテルニタティス)と記されている。

そして、いずれにしても、

こうしたラテン語において”sub specie aeternitatis”(スブ・スぺキエ・アエテルニタティス)と表記されることになる、すべての存在を永遠の相のもとに見る知性的な認識のあり方こそが、

こうした『知性改善論』と『エチカ』というスピノザによって記された主要な二つの書物における哲学探求をめぐる一つの大きな主題となっているということは確かだと考えられるのである。

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仏教の悟りの境地へも通じるスピノザ哲学における「すべての存在を永遠の相のもとに見る」という精神の境地

そして、さらに言えば、

スピノザは、人間の知性における認識の本質と、そうした知性的な認識において把握されることになる哲学探求における究極の真理についての一つの終着点となる認識のあり方を、

こうした「すべての存在を永遠の相のもとに見る」という、ある意味では、どこか仏教における悟りの境地へも通じるところがある一つの完成された精神の境地のうちに求めていたと考えられる。

そして、いずれにしても、

こうしたスピノザの『知性改善論』における知性の第五の特性をめぐる記述においては、そうしたスピノザの主著である『エチカ』における「すべての存在を永遠の相のもとに見る」というスピノザ哲学における一つの終着点となる思想のあり方が予見されていく形で、

人間の精神における知性の第五の特性にあたる永遠性という観念が新たに提示されていると考えられるのである。

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