前回考察したスピノザの『知性改善論』における「知性の力とその諸特性について」と題された章における知性の第六の特性にあたる必然性の観念についての説明がなされている箇所に続いて、今回取り上げる箇所では知性の第七の特性にあたる限定性の観念についての説明が続いていくことになる。

そして、こうした『知性改善論』における限定性の観念についての論証の議論は、すでに、人間の精神における知性の第三の特性として提示されていた無限性の観念についての論証の議論と対称を成す議論として提示されていると考えられることになる。

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「限定性」としての知性の第七の特性についての『知性改善論』における記述

『知性改善論』の「知性の力とその諸特性について」と題された章の前回に続く部分においてスピノザは、人間の精神における知性の第七の特性について、それは具体的には以下のような特性であると語っている。

七、知性が他から形成する事物の観念は、精神によって種々の仕方で限定され得る

例えば、楕円形の平面を限定するために、紐に付着した石筆が二つの中心のまわりを運動すると虚構したり、ある与えられた直線に対して常に同じ一定の関係を持つ無数の点を概念したり、その俯角が頂角よりも大きいようにある斜面によって切断された円錐形を概念したり、その他の無数の仕方でなされる。

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、85ページ参照。)

ここでスピノザは、知性が他から形成する事物の観念、すなわち、自らの存在が他の事物や観念の存在に依存するような観念については、それは、人間の精神における知性の働きによる限定の作用によって成立することになると述べている。

知性の認識の対象となる事物の観念が、他のいかなる存在にも依存せずにそれ自体として独立して成立している観念であるとするならば、そうした自体的存在としての観念は他のいかなる存在からも限定を受けないという意味において無限性を有することになる。

それに対して、そうした知性の認識の対象となる事物の観念が、他の何らかの存在を前提としていて、そうした自らの外なる存在に依存する形で成立する観念であるとするならば、そうした依存的存在としての観念は、自分自身が依存する存在からの限定を受けることによってはじめて成立することになる。

そしてスピノザは、こうした知性の働きにおける限定の作用のあり方についてより詳しく説明していくために、

以前に、知性の第三の特性としての無限性の観念についての論証の議論においても提示されていた、円や直線といった幾何学的な概念を例として挙げていくことになる。

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楕円という幾何学的な概念の形成における知性による限定の働き

そうした知性の働きにおける限定の作用についての具体的な例についてスピノザは、上記の引用箇所において、まずはその最も代表的な例として、

「紐に付着した石筆が二つの中心のまわりを運動することによって限定される楕円形の平面」という幾何学的な概念を提示している。

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それでは、ここでスピノザは、より具体的にどのような状況を念頭において、こうした楕円形の平面という概念の形成における知性による観念の限定の働きという事例を提示しているのか、ということについてだが、それについては分かりやすく言えば以下のような状況が想定されていると考えることができる。

幾何学における楕円の定義とは、平面上のある2つの定点からの距離の和が一定となる点の集合から作られる曲線のことを意味する。

それでは、こうした幾何学における楕円の定義に基づいて実際に平面上における楕円の作図を行っていくとすると、

例えば、平面上の2つの定点両端が固定されている少し長めの紐を用意したうえで、その紐がピンと張りつめた状態になる形で石筆を紐に密着させて動かしていくと、平面上において石筆が動くことできる範囲は、そうした平面上の2つの定点を焦点する楕円の領域に限られることになる。

そして、つまりはこのようにして、楕円という幾何学的な概念は、人間の精神における知性の働きによって、2つの定点に固定された紐によって可動範囲が規定されている平面における石筆の運動の概念を通じて限定されることによって新たに成立することになると考えられるのである。

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無限性と限定性という二つの観念に基づく人間の精神における知性的な認識

そして、こうした知性の働きにおける限定性の観念についての考察からは、そうした限定性の観念を、以前に取り上げと人間の知性における無限性の観念についての考察と合わせて解釈を行っていくことによって、そうした人間の精神における無限性と限定性の観念についてのさらに深い理解が導かれていくことになる。

哲学的探求の目標となる真なる観念の認識の秩序においては、その観念の存在が他のいかなる存在にも依存せず、それ自身の存在そのものによって真として認められるという点において、絶対的な観念限定的な観念に優越する。

しかしその一方で、そうした絶対的な観念だけによって人間の知性におけるすべての認識が成り立っているとするならば、常に、他の何らかの存在によって限定を受けている現実の世界における一般的な事物や、人間の精神そのもの存在ですら、知性はそうした限定された存在についてのいかなる認識にも到達することはできないと考えられることになる。

つまり、そういった意味では、

人間の精神において、すべての存在の根源にある哲学的な真理としての無限にして永遠なる存在についての観念から、人間の精神自身をも含むすべての存在が知性的に把握されていくためには、

そうした人間の精神における知性の働きにおいては、無限性と限定性という二つの観念の両方に基づいて個々の事物についての認識が形成されていく必要があると考えられることになる。

そして、つまりはそういった意味において、スピノザの『知性改善論』においては、知性の第三の特性として挙げられていた無限性の観念についての議論と対称を成していく形で、人間の精神における知性の第七の特性として限定性の観念が提示されていると考えられるのである。

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