前回までに書いたように、スピノザの『知性改善論』の最終章にあたる「知性の力とその諸特性について」と題された章においては、

スピノザが考える人間の精神における知性の定義へと通じる知性の働きにおける八つの特性のあり方が順番に提示されていくことになる。

そこで今回は、これまで順番に取り上げてきた『知性改善論』において記されている人間の精神における知性の八つの特性について、改めてまとめていく形で考察していく。

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知性の第一の特性としての「確実性」の観念

一、知性は確実性を包含する。言い換えれば、知性は事物が知性の中に想念的に含まれている通り形相的に存することを知る。

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、83ページ参照。)

人間の精神における認識は、それが身体的な感覚に基づく認識である限り、見誤りや聞き違いといった誤謬が生じることがあり得る。

しかしそれに対して、知性の働きに基づく認識においては、それが知性の内なる正しい秩序に基づいて導き出される論理的整合性を備えた認識である限り、決して誤謬へと陥ることがない確実性を備えた認識となる。

知性の第二の特性としての「絶対性」の観念

二、知性はある事柄を絶対的に知覚する。すなわちある種類の観念を絶対的に形成する。しかしまたある種類の観念はこれを他の観念から形成する

例えば量の観念は他の思想を考慮に入れずに絶対的に形成するが、運動の観念は量の観念を考慮に入れてのみ形成する。

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、83~84ページ参照。)

人間の精神における知性の働きに基づく認識においては、量の観念あるいは時間や空間の観念といった絶対的な認識形式が存在する。

そして、そうした知性の働きにおける絶対的な認識形式のみに基づいて把握される認識においては、知性は他のいかなる存在にも依存することのない絶対的な認識を形成することになる。

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知性の第三の特性としての「無限性」の観念

三、知性が絶対的に形成する観念は無限性を表現する。これに反して他から形成するのは限定された観念である。

例えば知性が量の観念を原因によって知覚するなら、知性はそれを量を通じて限定しているのである。

立体がある平面の運動から、平面が線の運動から、さらにまた線が点の運動から生じると知覚する時のごときである。

こうした知覚はしかし、量そのものを理解するのには役に立たず、ただ量を限定するのに役立つのみである。

これは次の事実から、すなわち、我々はこれらの知覚をいわば運動から生じると考えているが、しかし運動は、まず量そのものが知覚されなくては知覚されないという事実から明らかである。

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、84ページ参照。)

そして、そうした知性の働きにおける絶対的な認識形式のみ基づいて形成される観念においては、そうした観念は、自分自身以外のいかなる観念からも限定されない観念であるという意味において、無限性を備えた観念として認識されることになる。

知性の第四の特性としての「肯定性」の観念

四、知性は否定的観念よりもまず肯定的観念を形成する

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、84ページ参照。)

スピノザは『知性改善論』の「永遠なる事物を認識する手段について」と題された章において、知性による認識の対象となる真なる観念は、事物や存在における特殊肯定的本質としての真なる定義から道き出されていくことになると述べている。

そうした特殊肯定的本質としての真なる定義を把握する知性の働きにおいては、その事物が何ではないかを示すだけの消極的な規定にすぎない否定的観念よりも先に、まずは、その事物が何であるかという本質そのもの示す肯定的観念が形成されることになる。

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知性の第五の特性としての「永遠性」の観念

五、知性は事物を持続のもとよりもある永遠の相のもとにおよび無限数のもとに知覚する。あるいはむしろ、事物を知覚するのに、数をも持続をも考慮に入れない。

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しかし事物を表象する時には、これを一定の数、一定の持続および量のもとに知覚する。

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、84~85ページ参照。)

ここでスピノザは、自らの主著である『エチカ』においても語られている「すべての存在を永遠の相のもとに見る」という言葉を通じて、

知性における認識の本質であり、その哲学的探求における一つの終着点となる人間の精神における究極的な認識のあり方について語っている。

そうした哲学的探求における知性の働きに基づく究極的な認識のあり方においては、すべての存在はその根源にある永遠なる存在のもとに把握されることになるので、それは、すなわち、永遠性の観念のもとに把握された認識となる。

知性の第六の特性としての「必然性」の観念

六、我々が明瞭かつ判明に形成する観念は、我々の本性の必然性だけから生じるように見え、絶対的に我々の能力にのみ依存する観がある。

混乱した観念はこれと反対である。すなわちそれは我々の意に反して形成される。

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、84~85ページ参照。)

そして、そうした永遠なる存在あるいは神とも呼ばれる究極の存在のもとでは、すべての存在は偶然性が入り込むすきがなく必然的に存在することになるので、

そうした永遠なる存在あるいは神とも呼ばれる究極の存在のもとに把握される知性的な認識においては、そのほかの不確かな存在における偶然的な認識のあり方とは異なり、すべての存在が必然性の観念のもとにおいて把握されることになる。

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知性の第七の特性としての「限定性」の観念

七、知性が他から形成する事物の観念は、精神によって種々の仕方で限定され得る

例えば、楕円形の平面を限定するために、紐に付着した石筆が二つの中心のまわりを運動すると虚構したり、ある与えられた直線に対して常に同じ一定の関係を持つ無数の点を概念したり、その俯角が頂角よりも大きいようにある斜面によって切断された円錐形を概念したり、その他の無数の仕方でなされる。

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、83ページ参照。)

前述した知性の第三の特性の項目で考察したように、知性の内には時間や空間といった絶対的な認識形式のみに基づいて形成される無限性を備えた観念が存在する。

しかしその一方で、そうした無限性の観念のみに基づく認識のあり方においては、人間の精神は、限定された存在である自分自身の存在を含む一般的な事物に対するいかなる認識へも至ることはないので、

そうした人間の精神自身の存在を含む限定された存在についての知性的な認識が成立する以上、知性の働きは無限性の観念だけではなく限定性の観念に基づく認識をも形成していくことになる。

知性の第八の特性としての「完全性」の観念

八、観念は、その表現する対象の完全性が大であれば大であるだけ完全である。

実際我々は小堂を案出した建築師を、広壮な殿堂を案出した建築師ほどには賛美しない。

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、85ページ参照。)

そして、そうした人間の精神における知性の働きによって形成される観念は、その対象となる存在そのものの完全性が大きければ大きいほどその認識のあり方がより完全なものへと進化していくことになる。

知性による認識が自らの精神における真なる観念についての直観的な認識から出発して、最終的に永遠なる存在としての神についての認識へと至る時、

そうした人間の精神における知性の働きに基づく認識は、真の意味において完全なる認識へと到達することになると考えられるのである。

・・・

そして、以上のように、

スピノザの『知性改善論』の最終章における人間の精神における知性の働きを特徴づける特性をめぐる哲学的な議論においては、

確実性・絶対性・無限性・肯定性・永遠性・必然性・限定性・完全性という八つの観念に基づいて、人間の精神における知性の定義へと通じる八つの特性のあり方が示されていると考えられるのである。

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