前回書いたように、スピノザの『知性改善論』の最終章にあたる「知性の力とその諸特性について」と題された章では、人間の精神における知性の働きのあり方が確実性・絶対性・無限性・肯定性・永遠性・必然性・限定性・完全性という八つの観念に基づいて順番に解明されていくことになる。

そして、この書物における主要な哲学的な議論は、そうした哲学的探求の主体となる知性の定義へと通じる人間の精神における知性の働きの八つの特性をめぐる議論によって終わることになるのだが、その後には、この未完の書物における結びの言葉ともいえる一連の記述が続いていくことになる。

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『知性改善論』における愛と喜びについての探求の位置づけ

スピノザの『知性改善論』における知性の八つの特性をめぐる哲学的な議論の後には、この未完の書物における探求の主題がどのようなものであったのかをまとめていくと共に、

この書物における探求の先へと続いていくことになる永遠なる真理へと通じるさらなる哲学探求の営みの方向性について語られている一連の記述が続いていくことになるのだが、その部分の記述は、以下のような言葉によってはじまっている。

思惟に関係あるその他の事柄、例えば、愛や喜びなとには私は立ち入らない。なぜなら、それらは我々の現在の計画とはかかわりがないし、また、それらは知性がまず考えられない限りは考えられることも出来ないからである。

実際、知覚がまったく除去されれば、それらすべても除去されるのだから。

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、85~86ページ参照。)

ここでスピノザは、人間の精神における愛や喜びといった心の働きのあり方について、それらの事柄は、永遠なる真理へと到達する哲学探求の道を見いだしていこうとするこの書物全体を通して語られてきた計画とは直接的には関係ない事柄であるため、そうした事柄についてこの書物において語るべきことはないと述べている。

それでは、ここでスピノザは、そうした愛や喜びといった事柄が、哲学とはおよそ無関係な単なる虚構や幻想に過ぎない事柄であるがゆえに、そうしたことについては語る価値がないと考えていたのかというと、それはおそらく違うと考えられる。

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知性の存在を前提として成り立つ真の意味における愛と喜びの観念

それではスピノザはいったいどういった意味においてこうした愛や喜びといった事柄についての議論をこの書物における哲学探求の主題から外しているのかというと、

それについてはまず、上記の引用箇所においてスピノザが愛や喜びといった事柄について、それを思惟に関係ある事柄として位置づけているという点に注目することが必要となる。

「スピノザにおける知性と思惟の同一性」についての考察でも書いたように、『知性改善論』における哲学的な議論においてスピノザは、「思惟」と「知性」という二つの概念を本質においては同一の概念として位置づけている。

つまり、スピノザの哲学においては、愛や喜びといった事柄は、本質的な意味においては、思惟すなわち知性の働きと深い関わりがある事柄として位置づけられていて、

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そうした人間の精神における知性の存在を前提とすることによってはじめて、真の意味における愛や喜びといった観念が成立することになると考えられるのである。

そしてこのことは、上記の引用箇所において、こうした愛や喜びといった観念について「知性がまず考えられない限りは考えられることも出来ない」とスピノザ自身が語っていることから言っても明らかと言える。

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哲学探究における知性と真理そして愛と喜びについての探求の順番

それでは、人間の精神における正しい知性の働きのあり方についての探求が主題となっている『知性改善論』と題されたこの書物において、

そうした人間の精神における知性の存在を前提として成立することになる真の意味における愛や喜びといった観念についての直接的な探求が行われていないのはなぜなのかというと、

それはひとえに、哲学探求における正しい秩序に基づく探求の順番の問題に求められることになると考えられる。

確かに、愛や喜びといった事柄についても、それは究極的な意味においては、知性の働きに基づいてその真なる観念のあり方が見いだされていくことになると考えられることになるのだが、

探究の順番としては、まずは、そうした愛や喜びについての真なる観念を形成する人間の精神における知性の正しい働きのあり方を解明したうえで、さらに、そうした知性の働きの根源にある永遠なる真理についての認識をも明らかにしていった後にはじめて、そうした愛や喜びといった事柄についての哲学的探求へと進んで行くことができると考えられるのである。

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永遠なる真理についての知性的な認識から必然的にもたらされる人間の精神における最高の喜び

そして、さらに言えば、スピノザが示している哲学探求の道においては、そうした知性の働きに基づく哲学探求の末に得られることになる永遠なる真理としての真なる善の存在からは、必然的に、人間の精神における最大の喜びや最大の幸福といった存在も導き出されていくことになるということが示されているとも考えることができる。

こうしたことについては、『知性改善論』の冒頭部分における以下のような記述においてもすでに明らかにされている。

私はついに決心した。我々のあずかり得る真の善で、他のすべてを捨ててただそれによってのみ心が動かされるようなあるものが存在しないかどうか。

いや、むしろ、ひとたびそれを発見し獲得したならば、不断の最高の喜びを永遠に享受できるようなあるものが存在しないかどうかを探求してみよう。

(スピノザ『知性改善論』畠中尚志訳、岩波文庫、11ページ。)

つまりそういった意味では、

もしも人間の精神が、哲学的探求における究極の目標となる永遠なる真理にして真なる善の存在へと到達することができるとするならば、

そうした永遠なる真理についての知性的な認識からは、必然的に、人間の精神における最高の喜びがもたらされることになるという意味において、

スピノザは、まずは、そうした人間の精神における真の意味における愛や喜びの源泉となる永遠なる真理へと至る哲学的探求の道を解明していくことに全力を尽くしていくことが必要だと語っていると考えられるのである。

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